相対的価値観と絶対的価値観

経済は感情で動く : はじめての行動経済学

経済は感情で動く : はじめての行動経済学


「経済は感情で動く」という本を読んでいる。
その中でこのような問いがあった。

次のA社とB社、あなたはどちらの会社を選びますか?

1. A社はあなたに年俸500万円を払うという。この会社は全ての新卒者に500万円の年俸を払うことで知られている
2. B社はあなたに年俸600万円を払うという。この会社は新卒者に650万円の年俸を払うことで知られている


本の中では、32名の学生に聞いたところ、22名がA社を選び、B社を選んだのは10名だけであったという。


これは価値観が相対的か絶対的かをはかるのに良い問題だと思う。
A社を選ぶのは、周りと同じ年俸なら劣等感を抱かずにすむという気持ちがあるからだろう。これは自分の価値を周りと比較することではかろうとする相対的価値観である。日本人の好きな、周りと歩調を合わせてスタートラインにたとう、という路線である。


だが、私はB社を選ぶ。
理由は年俸の評価基準が自分にあるからである。そしてより高い年俸から想像される仕事への期待だ。

A社の年俸には違いがない。500万円という値段は、「新卒者」であれば誰であれその値段になる。そこに私の個は現れない。一方B社の、600万円の判断基準は「新卒者」だからではなく、「私という個の能力」である。周りより安かろうが、それは自分の価値観ではどうでもよい。自分という人間が絶対的な判断基準である自分によっては、自分を個として評価してくれたB社の素直さに好感をもつ。


またB社の年俸はA社より100万円も高い。それはまた、仕事の質も高いのではないか、責任も重いのではないかといった期待も生む。それもB社を選ぶ理由だ。


自分が日本の大手システムコンサルティング会社を選ばず、ベンチャーあがりの会社を選んだのは、自分の個が、個として発揮できる場としては、後者が魅力的だったためである。自分は、自分の中に絶対的な価値観を持つ人間である。自分が好きなことを続けていきたいし、正しいと思うことを行っていきたい。そんな自分が生きていくために、相対的な価値観(年功序列型賃金など)をもつ日本の旧来型企業はどこかしっくりこなかったのだ。社会の中で、自分はどのくらいの市場価値があるのか。自分1人だけでどれだけの力があるのか、それを常に問い続けていきたい。そのとっかかりの場として、来年入社する会社はふさわしいと思っている。